2016年2月6日土曜日

第18回ロシアンサロンの報告です



С новым годом!

あけましておめでとうございます。
2016年は愛知の会にとって15周年の節目の年です。
少しずつ、着実に交流の種をまいていきたいと思っています。

昨年の10月4日に開催された第18回ロシアンサロンの報告を掲載いたします。

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テーマ「祖父母の足跡をたずねて~2015年夏、樺太~」

お話 松田 薫さん 行政書士、名古屋NGOセンター、
多文化共生リソースセンター東海会報編集委員。

松田さんに寄稿していただきました。
おばあさんの手記を手にする松田さん

私が祖父母の足跡を辿るようになったのは、2013年夏、ドミニカ共和国で日系移民の方々と出会ったことがきっかけでした。あらかじめ読んだ書籍からは「国に棄てられた民」という悲劇の物語一辺倒と捉えてしまっていましたが、ドミニカ人との温かな交流、面白おかしい日常などに触れ、教科書や書籍に残らない一人一人の人生にこそ、大切なことがあるのではないかと思ったのです。彼らの溢れる思いを聞くにつけ、自分の祖父母も海を越えて樺太へ渡った日本人だということが、急に現実味を帯びて浮かび上がってきました。奇しくも、祖母が他界したのはそのわずか4か月前。そんな折、祖母の遺品の中から樺太からの引揚げに関する手記が見つかりました。1990年に書かれたもので、45年もの時が経っているにも関わらず、昨日のことのようにこと細かに記されていました。ドミニカの皆さんのように伝えたかったことがあったに違いないと、直接聞けなかったことを悔やんでも悔やみきれない思いがしました。それから、祖父母の足跡を辿るようになりました。 

いざ祖父母の人生が知りたいと思っても、祖父母の樺太時代の友人や同じ町に暮らしていた方は、ほぼ他界されているというのが現状でした。今聞かなければ樺太の記憶が消えてしまうという危機感を抱き、2015年夏、じっくり北海道で引揚者の方を訪ね、サハリンの地を踏もうと決めました。

ご存知の通り、樺太は終戦と同時に戦場と化した地です。そんな中でも「国としてのソ連は恐ろしかったけれども、個人個人はいい人だった」と皆さん口を揃えて仰います。凄惨な体験をされたにも関わらず「個を見る姿勢」をお持ちだということに驚き、また今の私たちに大きな示唆を与えてくれると感じました。また、樺太引揚者の方々がお話して下さる中で、筆舌に尽くし難い記憶がよみがえり、涙が溢れ出してしまうこともありました。皆さんの辛い記憶を掘り起こすことに対する罪悪感や、こうすることが皆さんにとって良いことなのか、また祖父母が望むことなのか、という葛藤が常にありました。でも、「ソ連が侵攻してきて恐ろしい体験もしたし、引揚げてからも引揚者に対する暗黙の差別もあり、今まで口を閉ざしてきた。でもこうして孫世代の方が一生懸命に話を聞いてくれるなら、今は語り継いでいかなければいけないと思う。」「生まれ育った樺太を敗戦のために追われて故郷を失った気持ちは本人しか分からないと思っていたけれど、こうして祖父母の昔のことに思いを馳せてくれる方がいると思うと救われる気がする」というお言葉を頂き、安堵するとともに、葛藤を抱えながら重い口を開いて下さった皆さんの思いを重く受け止めました。

こうして2年間で少しずつかけらを繋ぎ合わせるように祖父母の人生がかたどられてきて、祖母が伝えたかったことが分かったような気がしました。祖母の手記や手紙には、親への恩義・尊敬、家族の大切さが繰り返し綴られています。祖母は、自分の引揚後も樺太に残された家族を探して、我が身を顧みず密航船で再び樺太へ渡ります。また祖母の手記には「二度と戦争はあってはいけません。シベリアで抑留された主人が気の毒です。引揚後は色々と病気が出て大変でした。4人の息子が主人の遺産と思っています」とあります。祖母は家族を大切にしなさいということ、また、その大切な家族を引き裂くような戦争はあってはならないということを伝えたかったのだと思います。
私は名古屋に来てから6年半、感情のすれ違いもあり物理的にも心理的にも家族とは距離を置いてきました。ただ、樺太というのはどうしようもなく家族のことです。いよいよ家族と向き合う時が来た、と感じました。家族だからこそのデリケートさがありましたが、その中で心が解け合っていくのを感じました。

私も、この祖父母の足跡を辿る旅を通して、家族の温かさや愛おしさをかみしめました。ビルマ難民、そして南米日系移民と出会ってなければ、自分の祖父母が樺太引揚者だということに目を向けることもありませんでした。そう思うと、遠回りしながらも、全てが繋がっていたように思うのです。祖母の思いを胸に、家族やお世話になっている方々を大切にして生きていきたいと思います。

末筆ながら、北海道やサハリンで思いを託して下さった方々の思いを伝える機会を、また祖父母の足跡を辿る旅の総括をする機会を下さった貴会の皆さまに、心より感謝申し上げます。

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