2014年10月2日木曜日

第15回ロシアンサロンへのご参加ありがとうございました

第15回ロシアンサロンが824()東生涯学習センターにて開催されました。

2013年夏から1年間、ロシア・クラスノヤルスクにあるシベリア連邦大学へ留学された猪狩春樹さんをお招きし、クラスノヤルスクの生活や大学での様子などをお話しいただきました。

当日の内容をこちらのホームページ用として猪狩さんに書いていただきましたので、全文を掲載します。


猪狩春樹(イガリハルキ)さん
1991年、愛知県豊橋市生まれ。2011年、愛知県立大学外国語学部国際関係学科に入学。
第二外国語でロシア語を選択。2013年夏から約一年間大学を休学し、シベリア連邦大学に交換留学生としてクラスノヤルスクに滞在。 



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クラスノヤルスクに留学して
愛知県立大学外国語学部国際関係学科3年 猪狩春樹

2013818日から2014年7月17日まで、ロシアのクラスノヤルスクに留学した。私は特別ロシアに思い入れがあるわけでもなく、父が仕事の関係で極東のウラジオストックへ度々行き来していたので、なんとなく親近感があって、2011年春、愛知県立大学に入学した時に第二外国語でロシア語を選択した。もちろんその時はロシアに留学することなんて露ほども考えていなかった。その一年半後に愛知県立大学とクラスノヤルスクのシベリア連邦大学がお互いの協定校になることが決まり相互交流促進のために、留学の枠が設けられた。愛知県立大学のロシア語の履修者は少なく、ましてや留学の意欲に燃えるものは皆無に等しかったなかで、ロシアへの長期留学の話が私のところに舞い込んできた。最初は思いがけもしないことだったし、相当に悩んだりもしたが、費用や両親の意向などでの障害は特になく、なにより条件がとてもよかったのでいかなくては損だと思って行くことにした。

クラスノヤルスクで勉強し始めて、何よりも不安だったことは、自分のロシア語の実力不足だった。毎日ロシア語の授業を本国で受けてきた中国の留学生のあまりのレベルの差に最初はとても苦しい思いをした。授業中で先生の言うことがわからず、質問したくてもこちらの意図は伝わらず授業を毎回渋滞させてしまう、いったい何のためにシベリアまで来て勉強しているのか意味を見失ったように思えた。背伸びをしてもしょうがないので、自分でできるだけのことをし、予習と復習に手抜かりがないようにして毎回授業に臨んだ。決して楽ではなかったけれど、一日中ロシア語の勉強だけをすることができるというのは別の側面から見ればとても恵まれた学習環境であり、この機会を大事にしようと次第に思えてきた。夏はまったくわからなかった先生の話も雪が溶け春が訪れるころには少しずつ理解できるようになっていった。それから後は時が経つのが早かった。

ロシアにいて日本との違いを感じることもしばしばあった。ロシアの人たちは時間の対していい加減であったり、公共機関をまったく信用していなかったり、お金の使い方が豪快であったり、水や電気がすぐに止まったり、日本の視点から見ると驚くような違いにいつも注目せざるを得なかった。またそこから自国の文化と比較することによって、ロシアの人たちの深層にある価値観を観察することができたように思えた。

当日のサロンの様子
 日本に帰ってきてみると、「危険」とか「寒い」など日本でのロシアのイメージは画一的だと感じた。もちろん私がたかだか一年あまりで経験したことはロシアのほんの一部に過ぎない。そこからロシアのことを一般化してはならないことはよく分かっている。まだまだ知らないことはいっぱいあると思いつつ、留学を通して知れたこともたくさんあったのだということは帰国してから初めて感じたことである。これから私がどのように身を振るかはまったく検討もしていないけど、何らかの形でこの留学の経験が今後の自分の未来の土台になればいいかなと考えている。

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