当ブログでもご案内しました通り、6月1日(日)にウインク愛知にある愛知県立大学サテライトにおいて、第13回日ロ愛知の会の総会・講演会を開催しました。
講演には亀山郁夫氏(名古屋外国語大学学長)をお呼びし、「ロシアの鼓動に耳を傾ける—ロシアと私」というテーマでお話しいただきました。
たくさんのご参加ありがとうございました。
当会会員の市崎謙作さんより、講演の感想を寄せていただきました。
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―深く共感する個人的心情に裏打ちされた研究活動―
この講演は、ロシア的なものに大いに心を魅かれて「ロシアの鼓動に耳を傾け」て研究活動を続けてこられた亀山郁夫先生が、自らの多岐にわたる活動を振り返りつつ自分のアイデンティティを確かめようとする試みであったと言えましょう。
学問もまた研究者の個人的心情に支えられ裏打ちされていますが、普通は、背景に隠され正面に出ることはありません。ところが、亀山先生は、その多彩で華やかな自らのお仕事(研究や翻訳など)を支えている個人的心情を自ら分析し解き明かしつつ、これまでのお仕事を反省してみようとされたのです。数十年にわたる充実した研究活動を周到に分析するのはそう容易なことではありません。実際、一時間強という時間的な制約もあり、本講演では、全研究活動の数分の一程度について個人的関わりの秘密の一端を明かしてくださったにすぎませんでした。しかし、親しみのこもった明るく穏やかな口調で、時にはユーモアをこめて話していただいた多くのことは非常に印象的で忘れがたいものでした。
驚嘆したのは、ロシアの精神や文化への「共振」というか「共鳴」というか、個人的心情のレベルでの魂の触れ合いが深く強烈であり、かつ持続的であったということです。11歳の時に初めて観たロシア(ソ連)バレーのプリマドンナが与えた忘れがたい印象から始まって、中学生時代に観たソ連映画『ぼくの村は戦場だった』から受けた運命的な衝撃、同じくソ連映画『ハムレット』のオフェリア役の少女の美しさなどなど、しだいに「ロシアの鼓動」との魂の触れ合いが深まり、こうして、やがてロシアについて学ぶために大学へ進まれるようになるのです。高校時代から大学時代にかけて読みふけったドストエフスキーの諸作品が個人的心情のなかに組み込まれながら亀山先生の精神構造を形作っていきました。『カラマーゾフの兄弟』の「父親殺し」のモチーフが、研究者としての自分の「父親」である原卓也先生をも乗り越えようとする自己の精神的成長の歴史と暗合しているというお話(告白?)は興味深いものでした(自らのエディップス・コンプレックスについての独特の分析ですね)。
40歳ころになって、院生時代から地道に研究されていたフレーブニコフに関する研究書を初めて公刊されたのですが、公刊したとたんに広く人々に注目され、あまつさえオーム真理教との関わりも生まれたというエピソードは、先生の研究が人々の精神に訴えるものを当初から秘めていたということを証明するものでしょう。
ほかにも、文学だけでなく音楽との関わりや、スターリン研究にまで手を出したいきさつなど、お話は汲めども尽きない面白さに満ちたものでした。残念なのは、予定されていた「ロシアの精神性と自然」や「ロシアの霊性」などロシア人の精神構造の深層に関わる問題や、さらには、不可思議な状況の中での食べ物の話など、まだまだ興味の尽きないお話を予定されていたようですが、時間の関係でお聞きすることができなかったことです。もっとも、こんなに多くのことを短時間で話すのは絶対に無理なことです。今後、可能ならば、連続講演などの形でじっくりお聞きできたらどんなにすばらしいだろうかと思いました。
亀山先生のドストエフスキーへの思い入れは、単なる研究を超えて遂に創作の分野に進出されるまでにふくらんでいかれました!! 先生は、遂に「新カラマーゾフの兄弟」という小説までお書きになられたのです。その小説は全四部作のもので、その第一部は、この7月に発売される河出書房新社発行の雑誌『文藝』2014年秋季号で発表されます。講演の終わりに、亀山先生は、その創作の秘密のいくつかを解説してくださるとともに、第一部のいくつかの小節を朗読してお聞かせくださいました!
思いがけぬ贈り物でした。(市崎謙作)
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